親に「肝心なのは繰り返さない事。被害者にスポットを当てすぎじゃまいか」とか言ってみたが「何て心ない」「人命の重さを知らない」「戦争をしたがってる」「これだから若者は」と人格攻撃に突入、総スカンを食らった。何で生まれた時に終結済みの戦争のことでココまで非難されねばならんのか。
「生まれた時に終わってた戦争の記憶が大事って言うんなら、貴方たちは日清日露戦争の事も、明治維新の事も、キッチリ覚えてるんだよね?」と問うと、親たちは「また屁理屈を」と呆れつつ話を打ち切った。どないやねん
車の事故があったとしよう。肝心なのは「被害者の声」だけでは無い。環境、時刻、シチュエーション、事故に至ったあらゆる「要因」が大事なのだ。この説明をしても、団塊以上の方々は「何て心ない」と顔をしかめる。百歩譲って事故の原因追及には同意しても、戦争の被害者軽視は絶対に許さない。「人の痛みを知らずして」と人倫の尊さを気持ちよさげに蕩々と説く。
そして『再発防止』を目指すのであれば、右に左に振れる可能性のある被害者の声よりも、カーブの曲がりぐあいや周囲のビル配置や信号のタイミングとの関連性などを調査する方がむしろ重要で、「痛かった」「辛かった」「二度と事故らない」みたいな「被害者への誓い」は、再発防止に余り意味が無い。飲酒運転をしませんと誓って再犯した者は数え切れない。必要なのは運転前の呼気からアルコール濃度を測る装置だったり、居酒屋で車の有無を確かめるような、被害者とは無縁の体制構築なのだ。
ルールや原則では、既にコンセンサスは得られている。戦争は良くないし、絶対回避せねばならない。なぜソコで「涙を流して被害者に同情すること」が必須なのか。そんなのは戦争に実際巻き込まれた人たちが各々済ませることだろう。
シニアたちは、疎開体験など幼少時体験・記憶が強烈すぎて、それに引きずられすぎる面がある。戦争を知らないのも歪みかも知れないが、戦争を知っているのも歪みなのだ。戦争否定に夢中になりすぎて、どうやって戦禍を免れるかの視点が欠け落ちたシュプレヒコールを肯定・美化するのも、シニアたちの悪癖の1つと言える。
肝心なのはバランス。人の痛みも大事だけど、具体的な体制構築も忽せに出来ない大事なのです。

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