こと個人に話を落とし込めば、殺人者を殺し返す死体は無い。遺族辺りが復讐を誓ったところで被害者は生き返らない。つまり復讐で得られるモノは達成感とか個人的欲求を満たす何かでしかなく、それすら遺族への補償にすぎない。被害者は決して救済されない、ゆえに殺人者への懲罰に意味は無い。殺人に殺人を以てあたるのは、同じ外道に過ぎない。だから現行法も、被害者・遺族によるリベンジを許していない。
では何故、加害者は死なねばならないのか。それは社会の都合だから。死人に口なしが常態化すると乱暴者…殺人者が得をする社会になってしまう。社会で流通すべきは貨幣であり、暴力であっては困るのだ。だからこそ「目には目」が社会的な落とし処が共通認識になったのだ。それが「裁く」という行為の本質。加害者を裁くのは社会システムであり、社会システムの都合による加罰なのだ。被害者救済はオマケに過ぎない。
被害者が死ぬのは、加害者が殺したから。なので、裁判員であれ刑務官であれ、トイレに行く程度に気楽に、彼の刑を執行して構わない。
加害者が死ぬのは、社会が彼を罰したいから。
「命に直面しろ」と刑務官が言うのであれば、誰よりもまず加害者に伝えるべき。あと余談ではあるが、給与もらっといて仕事に文句ゆーな。粛々と立ち直らせて、絶望に浸らせろ。それこそが彼の罰なのだから。
さらに余談。冤罪をどう考える!とのご指摘には「エラー(ごく僅かな、無くせない例外)を根拠に、何かの価値を全否定するなハゲ」とでも。
そのハゲが、エラーを根拠に一切のIC積んだ機器を使わないとか、事故を根拠に車に乗らないとか、転倒を根拠に歩かないとか、犯罪を根拠に家を出ないとか、火災を根拠に家に住まないとか、活性酸素を根拠に空気呼吸しないとか、あらゆる例外を排除するってーんなら冤罪を根拠とする死刑廃止の主張をするのも構わないかなぁ、と思わなくもない。
